雨のち晴れ

うつ病と向き合い、生きています。

新生活のはじまり

仕事のストレス、HSP気質、元々人見知りで1人の時間は絶対必要な私。

そんな私はついに脳みそがパンクしたらしい。

 

現在、自宅療養中で、できる限りの家事をこなす毎日。

まぁ、実家だからできていることなので、両親には本当に感謝しかない。

 

とりあえず、気持ちの整理も兼ねて、これまで私が体験してきたことを少しずつ綴っていくことにする。

 

 

 

 

 

社会人になりたての頃、サロンのアシスタントをしていた私。

朝から練習、昼は雑務やアシスタント、夜は終電まで練習、帰宅後は毎日レポート書きがあり、寝るのは3時4時は当たり前。

昼はご飯を食べる時間などもちろんなく、裏に入ったときに人目を盗むようにひと口から揚げかチョコを口に含みながら洗い物をし、出るときにグレープフルーツジュースをひと口飲み込む。

土日は当然忙しく、グレープフルーツジュースを飲む暇さえなかった。

朝の通勤ラッシュなど、田舎育ちの私には生まれて初めての体験である。

専門学生のときは、寮生活だったので、そんな経験は0だ。

これもストレスである。

序の口である。

 

職場には先輩より先に着いて待っているというのは、なんとなく暗黙のルールのように思えた。

新人の私はお店の鍵を持たせてもらえていなかったので、致し方ない。

 

厳しい世界なのはわかっていたし、将来の夢や希望もあった私は、なんとかついて行こうと毎日必死だった。

 

だが、少しずつ、ある先輩からのあたりが強くなり始めた。

私のペースが遅いのが悪いのだ。

頑張らねば。

定休日にはモデルハントと言って、施術のモデルさんを探しにも行かねばならないのだ。

違う先輩だが、わざわざ休日にモデルハントに付き合ってくれるというのだ。

とてもありがたい。

頑張らねば。

 

その当時、睡眠時間は2時間。

3時間寝られればいい方であった。

シャンプー中、こっくり行きそうなときなど常である。

お客様、申し訳ございません。

でも、手を抜いたことは1度だってございません。

 

 

ほんの少し余裕ができた頃、実家から愛犬たちを連れて、両親がわざわざ都内まで会いに来てくれた。

そのとき、母は言った。

『ちゃんと食べてるの?なんだかやつれたんじゃない?』

そのとき初めて、そうなのか?と思い、体重計を購入。

専門学生の頃に実家で計ったときから、ほんの2〜3ヶ月で5kg減少していたのだ。

身長も小さく、おそらく標準くらいの体重であろう私が、少し見ない間に母がやつれたと言うほどだ。

その頃からだろうか。

体調に異変が現れ始めた。

当然といえば、当然である。

内科で血液検査をした。

少し甲状腺に気を付けるように、とのこと。

手首が痛かったこともあり、体も痛く、だるかったので、整形外科にも行った。

大きな異常はなし、とのこと。

 

だが、お世話になっている先輩も、可愛がってくれる先輩もいる。

頑張らねば。

なんとか、なんとか‥。

 

 

しばらくして、閉店後、優しい店長に食事に行こうと誘っていただき、話を聞いてくれた。

だが、私の中の答えは決まっていた。

 

何度か話し合いをさせていただいたが、手首と腰の痛みは続き、精神的にもきつかったのである。

早く次の仕事も探さなければいけなかったし、そもそもお金がないと生活できないし‥。

 

そこから退職までは早かった。

朝起き上がるのもつらくて、お休みをいただいたり、シャンプーくらいしかまともにできないのに先輩方がカバーしてくださったり‥。

本当に感謝しかなかった。

ただ、このままでは壊れることはなんとなく感じていたし、思うように業務ができない苛立ちもあった。

もうこれ以上いると迷惑が掛かると思い、退職することに決めた。

 

早速次の仕事を探さねば。