雨のち晴れ

うつ病と向き合い、生きています。

次の仕事へ

都内で一人暮らしをしていた私は、いざ、生活費を稼ぐために次の仕事探しを始める。

とりあえず、おしゃれすることが好きだったし、資格なしでもすぐ働けそうなとこ‥。

 

某有名アパレル販売員に採用。

先輩も優しく、可愛い洋服もたくさん着られる。

結構洋服代で給料は消えてゆくが‥。

個人売上計算、接客マナー、クレーム対応、備品発注、店内装飾、フェアの準備等‥。

その他諸々大変だったが、業務に慣れてくれば私に会いに来てくれるお客様もいて、これはとても嬉しかった。

後輩もどんどん入ってきて、自分が教える立場になるのも早かった。

比例して、あっという間にサブまでになっていた。

責任が増え、やりがいも感じていた。

何より楽しかったのは、とても優しく、信頼している先輩と、ここまで1年以上一緒にやってきたからだ。

だが、知らないうちに心と体のバランスは崩れていたらしい。

 

後輩ができたとはいえ、レジ締めや開店作業等の責任ある仕事はまだまだ任せられない。

早番遅番のシフト制ではあったが、ほぼ関係なく、朝から晩まで店舗にいることがほとんどで、朝は通勤ラッシュ、帰りは終電近く‥なんてことは少なくなかった。

店長である先輩となんとか頑張ってお店を回していた。

そんな中、後輩はどんどん辞めていく‥。

また新人さんが入ってくる、教える‥。

そんな繰り返し‥。

個人売上も作らなければいけない。

先輩の前で号泣したこともある。

悔しかった。

でも、やっぱり心が苦しくなって、勇気を出して精神科へ。

抑うつ、不安状態と診断された。

ここから1ヶ月の休職期間に入る。

先輩には本当にお世話になっていたし、申し訳なさでいっぱいだった。

 

1ヶ月後‥。

甘くみていた‥。

1ヶ月で回復などするわけがないのだ。

サロンを辞めたときからのストレスも積み重なっていたのだと思う。

今ならわかるが、この当時の私はうつに対しての知識もなかったし、若かったこともあり、気合と体力でなんとか乗り切れると勘違いしていたのだ。

 

これ以上休職も苦しいと思い、本当に悔しかったが、退職を決意。

ちなみに、サロンのアシスタントは約10ヶ月。

アパレル販売員は約1年5ヶ月程だっただろうか‥。

きっと世の中には、もっと激務で働いている人はいるだろうと思う。

私が甘いのだと何度も自分を責めていた。

 

この当時、近くに兄が住んでいたこともあり、傷病手当金を受けながら、兄のところにお世話になることになった。

兄は彼女と一緒に住んでおり、彼女も快く受け入れてくれた。

今考えれば迷惑だったろうなぁ‥。

当時お付き合いしていた彼がいたので、いくらか心の支えになっていたのだと思う。

だが、やはり、私も若かったし、うつに対して知識もなかった私たちはお互いだんだんうまくいかなくなり、3ヶ月程で別れてしまった。

支えてくれると言ってくれたけれど、自分のことで、本当に精一杯だったのだ。

 

少しして、母から電話があった。

『実家に戻っておいで』と。

ゆっくり休養するのに、いい機会だと思った。